鮮烈なレース
両脚とも攣り、しまいには両腕の前腕まで攣る始末。
身体で痛くない部位を探す方が早いと思えるぐらい全身が痛いところだらけ。登りでは足を上げる事が出来ないから穿いていいたタイツを腕で引っ張り上げながら登り、逆に下りでは大腿四頭筋が自重を支えきれないから後ろを向きながら下り坂を降り続けた。おまけにハイドレーションの水が底をつき、乾いた喉がトレイルの脇に溜まっている汚い雨水すら呑んでやろうかという思考を生み出すほどになった。
「もう一歩も足が出ないし、走りたくない。お金があるならヘリを呼びたい」
こんな思いをしたのが、2009年3月に人生で初めて走ったトレイルランニングレース「OSJ新城トレイルレース32キロ」に出場した時の事。
この鮮烈なデビューが、僕の頭と心に強いインパクトをあたえたのは言うまでもなく、「これがトレイルラニングレースなんだ!」とも思ったし、レース直後は二度と走りたくないとも思った。(とは言え、レースを終えて身体が回復してくると次のレースを考えるもんだから不思議なものだ。)
その当時のトレイルランニングの世界感で言えば、ハセツネがトレイルランナーの中では1つの勲章的なモノとして存在していたように記憶している。勿論、初レースから数年後に、僕も勲章を取りにハセツネを走る。目標タイムよりも早く走れた事の達成感と喜びの裏で、その頃に日本のトレイルラニングシーンに新たな1ページを加える事になったUTMFが誕生した事が、僕のレースに対する気持ちを燃やし切ってしまった。僕には、ハセツネの約2倍を走るレースなんて無理だと思ったから。
それからは、週末はお店の事もあるからと言いながらレースからは遠ざかり、そして、レースとは関係なく山を走っていた。ただ、これももしかすると、理由をつけて脳裏に焼き付けられた新城の経験から逃げていたのかもしれない。
それからも時々、草レースなんかにも参加させて頂き一時的にスイッチは入るが、また、いつも感覚に戻っていく事が多かった。
自分の中で生きている「走る理由」
街だろうが山だろうが「走る」事に対する理由は人それぞれあって、その1つ1つの理由に他人が下す評価に優劣もなければ正解も不正解もない。その人が「走る」と決めた事が、その人にとっての走る理由の正解である。だから、僕は自分の価値観を人には押し付ける気もない。
これは、僕の中の持論的なモノ。
だから、長い距離を走る人も凄いし、早く走る人も凄いし、初めて1キロを走りきった人も凄いし、決めた距離の途中で歩いてしまったとして、その人も凄いと思う。ダイエットの為でも、健康維持の為でも、モテたいでも、目立ちたいでも、ビールを美味しく呑みたいでも、とにかく、なんでも良い。その人が決めた事が、その人にとって走る理由の正解である。
そして、もう1つの持論として、「走る理由」っていうのは、色々な環境でカタチを変えながら自分の中で存在する生き物みたいなモノと思っている。だから、昔走っていた理由と今走っている理由がたとえ変化していても不思議ではないし、それで良いと思うようにしている。正しくは、思うようにした。
そう、僕はハセツネまではレースに出て完走や目標タイムをクリアする事に走る理由があると思っていたが、結果的に燃え尽きてしまった事が原因で走る理由を見失ってしまった。それ以降は、なんとなくな気分で走るが、その走りが昔に比べてモチベーションも低く走りの質が変わってしまった事や、そもそも走る回数が少なくなったりしていく事で、自分がダメになっているような「マイナスに考えた時期」があった。ただ、その時に改めて、走る理由ってレースやタイムや距離にチャレンジしているだけが全てなのだろうかと考え、その思考だと今以上にマイナスに向かって行きそうな事に気がついた。だからこそ走る理由が、自分の気分や気持ちでカタチが変わっていくモノでよくて、それは、自分が頭で考えて生み出しているエネルギーみたいなモノではなく、気持ちがカタチになった生き物みたいな感じで、そいつが思う「走りたい」という気持ちで走っている事が、今の自分にとっての正解だと思うようにした。
そして、長い月日が経ち、僕の中の走る理由という生き物が「レースに向けて走ろう」と思うようになったのが、去年の信越五岳トレイルランニングレースの100マイルのペーサーを引き受けたことが切欠だった。
その時の事は、過去のBLOG(→■)をチェックしてもらえればと思うが、このペーサーを引き受けたことが、今回の信越五岳トレイルランニングレースの110キロを走る事に繋がった。
(2022年大会でペーサーをした時の写真)
トレーニングが出来ない日々。
去年ペーサーをした時に書いたBLOGの最後に、「110キロの部門で完走したいと今は強く思っている。」と、書いたが、だからと言って僕みたいな人が強く思った所で、急に変われるわけではない。
BLOGを書いた直後は、ペーサーの任務を完了させる為に積んできたトレーニングをこれまで通りに行って約1年後を迎えれば大丈夫でしょ!と、思いながらも、エントリーをする4月12日まで殆ど走ることなくスノーボ―ドとビールを楽しむ日々が続いた。勿論、そんなグータラ生活はエントリー後も続いたが、GW前から少しずつ焦り出し走り初めるものの、染み付いたグータラな生活スタイルの中に走るための1時間すら捻出する事が出来ない。
気持ちでだけでは生活スタイルは変えられないと思い、走るための道具を新潮してみたり、生活スタイルの改善の為に電化製品を買い足してみたりと、外堀を埋めるように身の回りのソフト面を変えながら少しずつハード面(気持ち)を切り替えていった。
参考までに変化を加えたソフト面
・ラニング用のシューズやウェア―の新潮。(気持ちの変化あり)
・骨伝導タイプのイヤフォンの導入。(気持ちの変化あり)
・時計と心拍計の新調。(かなり効果あり)
・お酒の量を減らすための炭酸メーカーを導入(一時的にビールの量は減るが、炭酸カートリッジが空になった事を切欠にタガが外れた)
と、色々書いたが、自分の中で一番大きかったのはCOROSの時計と腕に付ける心拍計の導入だった。(めちゃくちゃ急に宣伝ww。いや、お店のBLOGだから良いよね!?)
未だCOROSの機能を全部理解して使いこなせている訳ではいないけど、自分のトレーニングの内容や身体の状態を可視化する事で、自分の弱点を知り効果的なトレーニングが出来たり、疲労度を確認しながらトレーニングを行う事で、頑張り過ぎのオーバーワークによる怪我が無かった事が非常が良かったと思っている。そのような経験から僕はCOROSの時計を、「手首に巻ける自分だけの専属トレーナー」と、密かに呼ぶようになった。(←ちょっとダサww)
一夜漬け状態のトレーニング
ソフト面を変えて少しずつ気持ちのハード面に変化を加えるものの、やっぱりやる気スイッチがなかなか入らない。そんな姿を客観視しては、学生の頃の自分と全然かわらない事に気がつく。
学生の頃は、日頃からたいした勉強はしない。テスト期間に入ったら、先ずは環境づくりだ!と、思って机や部屋の掃除を始める。そして、掃除で出来た写真や雑誌等を見る事に時間が取られては、焦って勉強するのは、毎回テストの前日。今回の信越に向けたトレーニングも、まさにその状態だったような気がする。
4月: 61.9 km 18時間 33分 4,032 m
5月: 104.7 km 18時間 40分 4,818 m
6月: 85.9 km 10時間 57分 2,027 m
7月: 67.1 km 9時間 26分 2,105 m
8月: 220.1 km 27時間 12分 5,149 m
※月間走行距離・時間・獲得標高
※SUPや自転車を含む
8月こそ結果的に距離や獲得標高は伸びたが、そもそも自分の中でトレーニングに対して、その部分の数字はあまり意識してなくて、それよりも手首に巻いた専属トレーナーが出してくれる内容で身体の状態をみながら走る事を意識した。おそらくだが、結果的には今の自分にとっては、質の高いトレーニングになったのだと思う。
意識したのは心拍値やCOROSコーチが出してくる「ランニングパフォーマンス値」と「トレーニング状態」。
特に、デイリーのトレーニングでは、COROSコーチがトレーニング後に出してくる「トレーニング状態」の上がり下がりをみては、トレーニングの達成感を感じたり、時には焦りを感じたり、時には安心して休息出来たりと非常に良いモチベーターになってくれた。また、それらの数値を見ながらトレーニングの質を高める為に、今まで人生で一度もした事が無かった「峠走」「LT走」「インターバル」等を取り入れるようにした。これらに関しては、正直、たった数回のトレーニングで実質的な効果があると思えないが、辛いや苦手なことをやる事へのハートは強くなったと思っている。
あとは、意識はしていなかったけど、身を結んだトレーニングとして
- 真夏の尾鷲トレイルを走った事。
今思い返せば、あの灼熱のような暑さの中の尾鷲トレイルを走った経験は、信越五岳のレース中の暑さにヤラそうになった時間帯でも、「あの時の尾鷲に比べれば」と思いながら走る事が出来た。
- 「勝手にSEA TO SUMMIT」というクロストレーニング
クロストレーニング?!いや、単に好きなことを仲間と一緒に遊んで楽しんだだけ。正直、過去の自分と比べればトレーニングとして走れていない自分に焦りもあったけど、その焦りとは別に、好きなことをして遊んでは、それをクロストレーニングという免罪符に置き換えて自分を安心させていたと思うし、実際に役立ったと思っている。特に、8月に行った「勝手にSEA TO SUMMIT(→■)」は、暑い中で色々な遊びを織り交ぜながら長い時間動く事で結果的に良いトレーニングとなった。
- レース間近の高地トレーニング
これは、ただ単に御嶽山に小屋泊登山に行っただけ(笑)。それでも、多少なりと低酸素状態での心肺機能を経験した事は、なんとなくレース中にも御嶽山に比べれば!なんてなった時もある。
こうやって自分の中で飼っている「走る理由」という生き物が「レースに向けて」に変化し、自身に与えてくる影響や思考が非常に面白く、常にポジティブな自分とネガティブな自分が対自している感があった。時にネガティブな自分がレースが近づくにつれてレースの夢を何度もみては、受付をミスしたり忘れ物で困ったりレース中に足のトラブルに見舞われたりする夢をみるもんだから、現実世界では、めちゃくちゃ用意周到に準備した。また時に、普段では気にならないような身体の小さな痛みに対して過剰に心配したりするから、月イチのスポーツトレーナーによるメンテナンスを取り入れたり、セルフマッサージでケアもしっかり行った。
レースを終えた今、改めて「走る理由」が変化した事で自分自身に与えてくれたモノの1つとして、「ネガティブな考えを打ち消す為のポジティブな考え方と行動を、自身の中で繰し行えること」が新たな発見でもあったよう感じている。
次回、ようやく具体的にレースについてBLOGを書かせて頂ければと思います。(ダラダラと長くなってスミマセンでした)
投稿者:飯田