トレイルラニング以外に「レース」というモノに出場した経験が少ないので、一概には言えないけれど、トレイルラニングのレースは冒険であり1つの旅でもある。また、少しナルシスト的な発想になるが、自分が主役の筋書きや台本の無いドラマや映画だとも思っている。
誰しもが、ドラマや映画が終わりに向かうにつれて興奮もしてくるだろうし、終わりがあるからこそ、「もう終わってしまうのか」という、寂しさも感じた事があると思う。そして、その終わりはハッピーエンドであって欲しいと願う。だからこそ、トレイルのレースでは、今の自分を取り巻く状態を正確に把握し、足を1歩ずつ前に進めながらゴールを目指す。
無事にゴールが出来れば、そのドラマはハッピーエンドになるけれど、状況が変わりリタイアをしてしまえば、もしくは、制限時間に間に合わなければ、思い描いたような結末を迎える事が出来なくなる。
ただ、その結末は本当に誰も分からないし、だからこそ、そこに面白みがある。それが、僕の思うトレイルラニングレース。
今回僕が出場した「信越五岳トレイルランニングレース 2022 〜パタゴニアCUP~(※以下:信越)」は、国内でも珍しいペーサー制度があるレース。
ペーサーとは、レースを走る選手に途中から合流し、その選手をゴールまで届ける役割。
言わば、ドラマや映画で言えば主人公ではなく脇役的な存在で、選手がハッピーエンドを迎える為には割りと重要な役。
僕は、日頃からよく遊ぶ顧客様より今年の春頃に、「今度の信越で100マイル(160キロ)走るから、飯田君ペーサーどう?」と言われ、軽い気持ちで「良いですよ」と返答した事で、その大役を授かる事に。因みに、信越100マイルは、選手が100キロを走ってきて、エイド(黒姫)でペーサーと合流し、残りの60キロを並走する。
「良いですよ。」
軽く発したその言葉に重みと後悔と不安を感じた時もあった。
過去にハセツネを走って以来、レースというレースは走っていないし、なんならここ数年、1日で30キロを超えるような距離も久しく動いてない。人によっては、「100キロを走って疲れた選手を、並走してゴールまで引っ張って行くだけだから。」と、言う人も居たが、そもそもここ最近の自分の身体で60キロも走れるのかな・・・。そんな事を思いつつも、昔に痛めた膝や腰を警戒しながら日頃のトレーニングの量を少し増やしつつも質に拘り、そして、それらをなるべく数字で可視化して管理する事で、自分現在の状況等を把握した。
これらを意識した事で、ある程度の自分への不安は消えていく中で、今度は、ペーサーとしてどのように選手をゴールまで引っ張っていくかをイメージしていったが、そのイメージが上手く出来ない。と、言うか、選手がどのような状態になるか正直分からないから。
だからこそ、トレーニングも含め、出来る限り選手と一緒にトレイルやロードを走り、一緒にいる時間をつくりお互いを深く知る事をした。
レース当日
台風の直撃は避けられたものの、フェーン現象の影響なのか、非常に暑い中でのレースとなった。
9月17日(土)18時30分に、100マイル選手たちはスタートする。
レースは立ち上がりから夜のパート。
走れるコースに走らなければならない関門設定、日差しを遮るモノが少ないゲレンデの登る時には、秋とは思えない暑い太陽の日差しが、疲労の出始めた選手たちに追い打ちを掛けていく。
トレイルサーチでレース展開を確認しながら、途中選手が送ってくれるLINEのメッセージで、予定通りに進んでいる事を確認して僕は就寝。
9月18日(日)
慣れないペンションの枕に眠りの浅さを感じながら7時起床して、自分の走る準備とゴール後の車の準備等を行う。
予定通り選手はエイドを通過しているが、合流地点の黒姫エイドには予定よりも早く到着する事もあるかもしれないし、極端に遅くなるかもしれない。どんな状況で選手が黒姫エイドに入ってくるかも分からない中、兎に角、高ぶる気持ちを抑えながらエイドで待機する。
ほぼ予定タイムで選手が、僕が待つ黒姫エイドに入ってくる。
100キロ走って来たとは思えない表情で思っていたより元気。(流石だ!)
いつもとは違う身体の部位に痛みを感じながらも、ニューハレの方にマッサージをして頂き、少し回復した様子。
その間に、選手のBAGを預かり、ヘッドランプのバッテリーの交換や行動食から水等を詰め替える。
「残りあと半分も無いですよ。」と、選手に声を掛けたいけれども、多くの選手がそれを聞いて「まだ半分もあるのか。」「ここまでの距離と疲労をもう一度か・・・」と、ネガティブになりそうだなと思い、その事は言わずに、兎に角、予定タイムスケジュールよりも10分の貯金がある事と、このペースで行けば問題なくゴール出来る事を伝えつつ、ここから僕の本当の仕事がスタートする。
選手のスピードとルーチンワーク
ここまで約18時間40分走ってきたので、兎に角、話をしながら意識的にリラックスをさせる。その中で、選手の気持ちを優先しつつ、今は選手のペースで走ってもらう。僕はそれに合わせて走り、そして、選手の状態を把握していく。あとは、決まった時間に電解質系のサプリとエネルギーの補給をさせながら、水の飲み具合(減り具合)を確認する。兎に角、この決まった時間に行うルーチンワークにはかなり意識をしたし、最初はサプリもエネルギーも必要かどうかを確認していたが、後半は確認作業をショートカットして、兎に角、食べさせる事を徹底した。
選手にとっての2回目の夜
120キロに差し掛かる頃になると、選手にとっての2回目の夜がやってくる。昼間に比べれば気温がグッと下がり走りやすくはなるが、流石に疲労感がかなり出てきている。意識が朦朧とし幽体離脱しているように感じると言うし、時折、幻覚も見るようで、「ボーリングのピンが2本ある」とか、「落ち葉が顔に見えたり文字が書いてある」とも言い出す。
でも、僕はそれでも順調にレースが進んでいる事と、この異常な状況が100マイルレースでは普通であるからという事を伝える。
ただ、僕は、100マイル走った事ないけど・・・・と思いながらも。
ラスボスと未知のコース。
最終関門(戸隠スキー場エイド)を予定タイムより30分巻いて出発すると、そこに現れるのが信越のラスボスとも言える「瑪瑙山(めのう)」がやってくる。
戸隠から次のエイドまでの距離が約10キロ。
その間に瑪瑙山がいて、累積で650mアップする。鈴鹿山系で遊ぶ僕たちにすれば、数字的にみれば大したラスボスではないけれど、ここまで141キロ走って28時間以上、ゼロ睡眠で動き続けた選手にとって大敵。
そして、情報による次の最終エイドからゴールまでが少し手強いと情報があり、この状況でタイムスケジュールよりも30分の貯金があるにも関わらず、ラスボス相手に更に10分の貯金を作って欲しいと選手からオーダーが入る。
この10分の貯金を作る行為は、逆にオーバーペースにならないのか、一気に疲労が出てしまうのでは無いのか、色々と悩んだけれども、その時の選手の表情や日頃の感覚から、そのオーダーをしっかりうけラスボスに望んだ。
いつもは弱音を吐かない選手も、瑪瑙山山頂へ上がる登りでは、かなり声を上げていたけど、引っ張るしかない。この頃から、「あと何キロ」と聞かれる事も少し増えてきたが、距離は基本的に教えずに、残り〇〇分動いて下さいとだけ伝える。正直、GPSウォッチ表示される現在の距離とコース上に記されている距離とに差が出ているので、正確な残り距離が分からないというのもあったし、何よりも、個人的には山で疲れた時に、距離を意識して行動するよりも、行動時間を意識した方のが、より明確で頑張れると思っているから。
最後の林道
これは選手にとってキツかったと思う。
大会側が出している(僕たちが持っていた)高低表はあきらな下り基調なのに、実際は緩やかに登る林道が続いた。また、今回はコース変更があったとの事で、その林道の先でもう一度山に入るとの情報。
たっぷり作った貯金があっても、何があるか分からない。まさに、台本もシナリオも用意されていないだけに、選手は自らを鼓舞して走り続けた。本当に150キロ近く走って来たとは思えない足の残り方で、この人の強さを改めて感じた。
32時間38分35秒
選手は、ほぼ予定通りにゴール。
僕には選手の本当の感動は分からないけど、兎に角、ゴールまで届ける事が出来て、選手にとっての100マイルというドラマがハッピーエンドになったのではと思っているし、良い脇役が達成出来たのかなと思っている。
100マイルレースの貴重なペーサーの経験。
自身が走る事へ、もう1つ意識があがる良い切っ掛けを貰えた。
僕にとっても、良いターニングポイントになった今回のレース。
今度は、僕が100マイル走りますよ!とは、まだ言えないけけれど、110キロの部門で完走したいと今は強く思っている。
と、言うことで、もし、信越を目指したい方がいらっしゃれば、是非、一緒に山で遊び来年に向けて準備をしていきましょう!また、ペーサーをしてみたい方も、たった1回の経験でよければ、アドバイス等をさせて頂きます。
最後に
コロナ等の影響により3年ぶりの開催となった本レース。
改めて、このような素晴らしい大会を開催してくれたレース関係者様、そして、影で選手達を支えてくれたボランティアスタッフの皆様や、地元の皆様に、本当に感謝致します。
ありがとうございました
投稿者:飯田