自分の本当の弱さを知った賤ヶ岳48

今回のBLOGは自分のトレイルランニングについて書きます。正直、お店の人間として、少し恥ずかしさと情けなさもありますが、本当に素直に書いています。

結構、長文になっていますので暇な時にお読み下さい。

 


自身初のトレイランニングレース

2009年3月のOSJ新城トレイルレース32キロ。丁度10年前、このレースが自身初のトレイランニングのレースだった。

その頃は、スノーボードショップA-BONY(modeateの姉妹店)でパークスタイルのボードを販売してた僕がレースに出てみようと思ったのは、前年の同大会に社長が出走し事が切っ掛だった。社長が、レース翌日に筋肉痛等でボロボロになった身体で会社の階段をロボットのように下りてくる姿を見て、その姿が少し面白かったのと、人をあのような姿にするトレイランニングってなんなんだ?と興味が沸いた為。

学生の頃はサッカーをしていて体力には自信があったし、社会人になっても週1~2回のフットサルをやっており、ある程度、身体を動かしているつもりだった。それに加え、冬になればスノーボードも滑り込んでいたから下半身には少し自信があって、自分の尺度では「動ける身体」であったこと。プラス、社長との年齢差を差し引いて考えても、自分でもイケルと思ったので、軽い気持ちで、「来年僕も出ますよ!」っと宣言をした。

そんな甘い考えだから、特に大したトレーニングもせずにレースに出走。近所の土の上しか走った事のない真新しいモントレイルのトレイランニングシューズ。社長から借りたザック。味も食感も、そもそもその必要性の意味すら分からず、「40分に1個食べろ」と言われて渡されたジェル。それまで、ロードで15キロも走った事のない人がトレイルを32キロも走る厳しさ。自分の考えの甘さにレース中、これは挑戦ではなく無茶をしたのだと何度も後悔をした事を今でも覚えている。ただ逆に、あの後悔と心身共にヤラレタ感覚があったからこそ、一気にのめり込んだのも事実。

ちなみに、このレース中に物凄い速さですれ違う数人の選手達を見た。レースの内容をあまり把握していな僕は、同じレースを走っているとは思えないペースに、てっきり11キロ選手達と思っていたが、実は同じ32キロを走るトップ集団だった事を後で知る。そして、その時のトップ集団にいたのが、望月選手や相馬選手、そして、三重を代表する阪田選手達だった事を知ったのは、随分経ってからの事だった。

初レースの翌日

ボロボロになりながら完走した喜びと達成感。数日間ロボットのように階段を下りる生活が続き、階段を下り度に感じる足の痛さで、しばらくは走りたくないと思っていたのに、ロボットから人間になるにつれて、レース中に感じたあの感覚を味わいたと思えて、そこから山へ走りにいく事が始まった。

次に目指したのはハセツネだった。

「仕事の都合などで、レースにはなかなか出にくいから。」を言い訳に、しばらくレースに出る事は考えずに山を走って月日が過ぎる。それでも、何か目標が欲しいと考える中で、「ハセツネを走る事」が新たに僕の中で目標となった。理由は簡単で「ハセツネの完走」という、勲章的なモノが欲しかったから。

僕の記憶だとその当時はUTMFが開催される前で、なんとなくだが、「ハセツネの完走」というのが、トレイルランナーにとっての1つの勲章的な意味合いがあったように感じていた。

32キロの約2倍の距離を走るハセツネ。

累積標高とか関係なく、単純に距離だけで言えば新城を2周走るという事。甘い考えで出た新城32Kの初レースの経験から、その2倍の距離を走るのハセツネを完走するには、どれぐらいの準備が必要かはなんとなく分かっていたのと、一度、痛い経験をしたからこそ、ビビる気持ちもあり、なかなかエントリーが出来なかった。

ようやく心と身体の準備が出来てエントリーが出来たのが、21回大会となった2013年だった。

バーンアウトをした。

ハセツネを無事に完走。自分が目標としていた勲章を手する事が出来た。しかも、自分が掲げていた目標タイムを大きく上回るタイムで完走するというオマケ付きで。ただ、それが原因なのか、逆に高い満足度を得てしまい燃え尽きた自分を作ってしまった。

それと同時に、その頃には、UTMFが2回程開催され、「ハセツネの完走」という手に入れたはずの勲章が、目標を掲げた当初より少し小さくなったような気がしていた。そう、僕の中では、目標で憧れだった勲章が、いつのまにかトレイルランナーにとっての通過点のように感じになってしまっていた。だからと言って、燃え尽きてしまった自分にとって、次は100マイルだ!とならなかった弱さがそこにはあった。

それ以降は、気が向いた時だけ山へ走りに行くスタイルとなり、また、自分の中で遊び方に幅が出てきたことで、以前より走る回数が明らかに減っていった。

「レースに出る事だけがトレイランニングではない。」その気持や考えは今も変わらない。ただ、その頃は、その理由を盾に弱くなっていく自分を隠していたのだと思う。

初めてのレースから10年目。

昨年末に掃除をしている頃に、初めて走った新城の大会の記念Tシャツがタンスから出てきた。それは、お世辞にもカッコいいとは言えないTシャツだったが、そのTシャツにプリントされている開催年を見て、改めて自分が初めて走ったレースから10年経とうしてる事に気がついた。この気付きも何かの縁なんだと思い、それを切っ掛けに、少し気持ち的にスイッチが入った。特に、大きな目標は無いけれど、目標が出来た時の為に身体を準備しておくのも悪くないと思い、燃え尽きた自分を再燃焼しはじめたのだった。

そんなある時、今回の賤ヶ岳48の主催者でもある@greatlooser88 さんから、レースのご招待を頂いた。スイッチが変わると自然と周りの環境も変わってくるもんなんだと思い、あの頃のように、軽い気持ちでエントリーをしてしまった。(笑)

弱くなりすぎていた。

再燃焼をした自分だったが、思っていた以上に身体は弱くなっていた。ただ、イメージ的には良く走っていた頃ままだったから、ついついあの頃のようなペースでトレーニングをするものの回復等が全く追いつかない。なんとなく、気持ちと身体の歩幅が合わない感じは、まるで、運動会のリレーなんかで転ぶ親父達を見ているよう。「まぁ、年齢的にも転んでしまう親父の域にきているか。」そんな事を日々思いながら、慌てながらもスローペースで身体を作っていく。

賤ヶ岳48

名古屋ウィメンズマラソンが開催されるなか、女人禁制と題して漢だけで開催されたローカルレース。

《レース概要》
・尾根率100%
・片道12キロのコースをピストンして2往復の合計48キロ
・制限時間7時間(1往復目の制限時間3時間半)

弱くなった自分は恥ずかしながら、今回密かに1往復しか走らない予定で望んでいた。
なんとなく1往復目の制限時間には間に合うように走るが、最終ゴールの制限時間には間に合うイメージが全くもって沸かなかったからだ。

約50人の強者揃い選手と共にスタートをし、登山道に入ってから、自分にとって明らかにオーバーペースの中レースが進む。尾根率100%というだけあって、足を休ませるような登りも少なく、本当に走れ過ぎてしまい足を早々に消耗していく。それでも、走った事の無いトレイルは本当に気持ちよく、単純にトレイルを楽しみながら自分なりにレースを進めていく。

コースとしては、片道12キロをピストンするスタイル。必ず全員の選手とすれ違う事が出来るので、鈍足な僕でもトップ集団の走りを見ることが出来る。そして、最初の折返しポイント(12キロ)が近づくにつれ、いつトップ集団とすれ違うのか、どの選手たちがトップ集団を作っているのかを楽しみにしていると、本当に楽しそうに走る集団が前から来た。そして、その先頭には阪田選手がいた!!

これが、本当に嬉しかった。

初めて走った2009年の新城32キロ。あのレースも3月に開催され、そして、10年振りに出走した今回の賤ヶ岳も3月。あの時も、おそらく僕の目の前トップ集団が走りさり、その中に阪田選手が居たに違いない!そして、今回も同じように僕の目の間を通過していくトップ集団の中に阪田選手が居た。

全てがあの頃のようだった。

奇跡とか言うと少し大袈裟だけど、それでも、色々な事がココまで重なる事も本当に珍しく、レース中にそれを感じただけで、走るのが楽しくなってきたが、やはり、昔の全盛期の頃のようには走れなくなっていた。

情けない。

コース途中で、カメラを構えるヨシキに出会い声を掛けてもらう。その声援に元気をもらいつつも、弱い自分が情けなく、その姿を見られるが少し恥ずかった。それでも、これが今の自分なのだと受け入れながら、「弱くなったわぁ~情けない!」とヨシキに話しつつ足を進める。

弱かったから弱くなった。

もし、自分が精神的に強ければ、ハセツネのあとも燃え尽きる事なく走り続けれていたと思う。それは、レースに出る事が目的や目標じゃなくても。ただ、結果的にあの時に燃え尽きたという事は、やっぱり気持ち的に弱かったのだと思う。

その事に気付き思いながら、1往復目のゴールを目指す。

「3時間29分35秒」

1往復目の制限時間3時間半にギリギリ間に合った。最初から、1往復目でリタイアするつもりだったから、折り返しの12キロ地点を過ぎてからは、ずっと、「残り○○キロで今日のレースは終わり!」と、考えながら走っていた。

ただ、僕より少し前を走る選手たちが2往復目に出ていくあの姿や、自分の中でリタイアと決めていたのに、実は気持ち的に折れていないこの感じ。とは言え、こんなギリギリで帰ってきて、確実に2往復目の折返しポイントで制限時間に間に合わず足切りになることが分かっていたのに、周りからのプッシュと、「折返し地点で足切りになっても良いから走っても良いですよ!」と、言ってくれたスイーパーの優しい一言で、もう12キロ走る事を決意した。

強くなろう。

結果、賤ヶ岳48は36キロ地点折返し地点で制限時間に間に合わずDNFとなった。

初めて走った新城では32キロ走り、自身の中で再スタートとして走った今回の賤ヶ岳では36キロ。
10年前の3月に味わった、あのヤラレっぷりとあの時の光景。
あれから10年後の3月。
また同じようなにヤラレて、あの時の光景をまた見た気がしている。
それでも、賤ヶ岳を走って、弱い本当の自分を知った事で、あらためて強くなろうと決意が出来た。

自分を取り巻く環境も年齢も変わってしまったけど、今回の賤ヶ岳48を切っ掛けに、再燃焼出来る自身が少し湧いてきた。

おそらく、これが普通のレースだとまた違ったのではと思う。あのローカルの温かさと緩さ、選手同士の距離感の良さがあってこそ、強くなりたいと思えたのだと思う。

一緒に走ってくれた選手の皆さん、主催者さんとスタッフの方々、本当にありがとうございました!

来年、しっかり完走して、漢を取りに行きます!

 

 

投稿者:飯田

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