「現実肯定主義」へと誘った大峰奥駈道 大普賢岳

先日のお休みは、奈良県の大峰奥駈道の一部にもあたる大普賢岳を歩いてきました。

今回の山行の楽しみ方をイメージして前日にパッキング。

当日の朝。シャワーを浴びたことが感覚を狂わせたのか、はたまたGWに初夏の陽気を味わった事で、日が経つにつれて夏に向う脳になってしまっていたのか、ウェア―のセレクトは何も疑うことなく前日に用意した短パンにロングスリーブスタイルで朝の5時前に自宅を出発。

ただ、この日は稀にみる気温の低さとなった。

途中コンビニに寄りながらも「ちょっと寒いのかな??」って思ってはいたけど気温は上がってくるだろうと思い、大して疑う事なく登山口に向う。

道は吉野川沿いを走り、道路脇の温度計に「12℃」の表示。最初は、「ん?!」と思ったが、次の温度計でもほぼ同じ表示。

「やっちまった・・・」

あとは僅かな期待に賭けて、日が照ることを願いながら駐車場に到着し車から降りるが、期待とは裏腹に、頬を湿らす霧が、これから歩く修験道をより神秘的な山へと誘おうとしていた。

寒さを紛らわすように手早く支度をし大普賢岳山頂を目指す。

スタート直後からブナの原生林と心地よい斜度が、足と身体を温めてくれる。少しずつ登山道は表情を変えては、途中に現れる修験道の行場となった窟(イワヤ)や地形のスケールの大きさ、そして、それらが絡む登山道の歴史を感じる事で、いつもとは違うパワーを感じられるような、そんな気持ちが満ちてくる。

窟を過ぎる頃から登山道は少し険しさが増してくるが、歩きやすいようにと架けられた梯子が、まるでアスレチックのアトラクションのように眼の前にあらわれる。正直、最初は楽しい梯子も、途中から「え?!また!!」ってなってくるのも事実。

いやいや、待てよ!!

そもそも、このルート上に、この梯子が無かったら絶対に山頂へ行くことは無理だ!この道をこの様に整備してくれた事の有り難さを忘れてはダメだ!そして、改めて今回のルートが修験道である事を考え、当時の修行僧の方々の凄さを痛感した。もうこうなってくると数時間前に、短パンでどうこう言っていた自分が軟弱者だと感じると同時に、「現実肯定主義」が少し理解できたような気がした。

大普賢岳山頂で手早く食事を行い、同じ道を歩いて下山する。

ゴール直前に再度通るブナの原生林は、今日の全てを解すかのようにそこにあり、晴れた霧の向こうには若葉の力強い緑があった。

投稿者:飯田

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