別世界にあった、100マイラーという称号
自分にとって、100マイラーという称号は、別世界にあるものだった。
100マイルを完走すると贈られるバックルやその称号。ロールプレイングゲームでいえば「勇者の剣や盾」のような存在で、手にすると大きく何かが変わるのではないか。そんな、ちょっと変な憧れがあった。

いつの頃からか、その別世界にあると思っていたアイテムが、手に届くところにあるかもしれないと思うようになった。ただ、近づくほどにその遠さと厳しさを知り、気づけば自分も、その別世界と思っていた渦の中にいた。
2026年秋。どのタイミングを「ゼロ」と設定するかにもよるが、そのゼロから月日が経ち、ようやくそのアイテムを1つ手にすることができた。
そこで感じたことは、後編で書くとして、まずは、そこに至るまでの話から。
2022〜2023年|ペーサーから、初の110kmへ
2022年(4年前)
仲良くしてもらっている方から「100マイルを走りたいから、ペーサー(伴走者)をして欲しい」と言われた。この一言が、信越五岳トレイルランニングレースを、実際に肌で感じる距離にしてくれた。
それまでの僕にとって、トレイルランニングは山で遊ぶアクティビティの1つ。100マイルは、そのアクティビティのさらに外側にある別世界のものだった。

ちなみに、信越五岳100マイルのペーサーは、100キロ走ってきた選手の残り60キロを伴走して、ゴールまで送り届ける役割。いくらペーサーとはいえ、久しく長い距離を走っていなかった僕には、少し不安があった。
それでも、100マイルのスタートのカッコよさを見て、選手の走る姿に勇気をもらい、無事にペーサーを終えた時、こう思った。

「この感覚に、あとプラス50キロ走る110キロなら、チャレンジできる」
そして翌年、自分が110キロを走ることを決めた。
2023年(3年前)
自身初の100キロ超えのトレイルランニングレース。今思えば、無知ゆえの強さが働いて、無事に完走できたのだと思っている。

そして、僕はまた勘違いをしてしまった。
「アレ?!このゴール後の感じ。これに、あとプラス50キロ走れば100マイルじゃん!」

(2023年:初の110k完走)
2024年(2年前)|初の100マイル、そしてDNF
無知の強みを武器に、調子づいて人生初の100マイルにチャレンジした。

(2024年:初の100マイル受付)
たった1回の100キロ超えのレース(2023年の信越110km)の完走が、僕を勘違いさせた。それを加速させるかのように、2024年にONTAKE100も走って完走したことが、さらに勘違いを助長させた。
結果、勢いだけで挑んだ初の100マイルは、自ら選んだリタイアによって、初のDNF(Did Not Finish=完走できなかったこと)の称号を手にすることになった。
心が折れて飛び込んだエイド。それが、笹ヶ峰グリーンハウス(111km地点)だった。
進み続けてもゴールできない可能性が高いと分かった瞬間、自分がこの先を走り続けるイメージが真っ白になった。そして、チャレンジすることよりも、身を守るためという理由を免罪符に、甘えへと舵を切り、係員にリタイアを告げた。
気持ちの深い部分で情けなさや弱さを感じながらも、それらを飲み込んで大きくなった恐怖のようなモノから、身を守るように、あるいは逃げるように選んだリタイア。
ようやくこの苦しみから解放されるという安堵感。それなのに込み上げてくる悔しさ。その決断を下したのは、自分なのに。
複雑な気持ちだった。
そして、リタイアを相談した時に言われた言葉が、今も耳に残っていた。
「レースは自分からはやめるな!」
2025年(1年前)|このままでは終われない
このままでは終われない。
そう思った僕は、あらためて110キロから仕切り直そうと、信越110kmに再チャレンジした。
レース当日は、自身でも経験したことのない大雨のスタート。後方に陣取っていた僕は、雨音でスタートの合図が聞こえないまま走り出した。前半は、100マイルの選手が耕した「田植え状態」のトレイルを進んだ。まさかこの経験が翌年に、生きてくるとは知らずに。
結果は、無事にゴール。
前回の110kmよりタイムこそ落ちたが、良いレース運びができたことで、もう一度100マイルにチャレンジできると感じた。

ただ、経験を積んでいろいろ知った分、100マイルへの解像度は高くなり、恐怖や不安も同じだけ大きくなっていた。
2026年|恐怖を抱えたまま、土台をつくる
そして今年、2026年。エントリーまでにはいろいろ悩んだけど、やっぱり100マイルにチャレンジすることにした。前哨戦として、奥信濃100もエントリーした。
練習メニューも変えた。一緒に練習するチームメイトにも支えてもらった。

冬の空白と、土台づくり
冬は毎年のように、スノーボードと寒さを理由に走る機会がぐっと減る。ちなみに、2025年10月から2026年3月末までの月間走行距離は、ほぼどの月も50キロを超えていない。(サボりグセが酷いww)
3月末の時点で、6月上旬の奥信濃に向けて本格的に練習を始めた。ところが、スノーボードで捻挫したせいで思うように走れない。そこで、トレーニングを「土台づくり」に置き換え、ランニング中の心拍管理を徹底した。

基本は心拍ゾーン2(楽に会話ができる程度の強度)で走ることを集中的に行い、体内のミトコンドリアと毛細血管を育てる。練習が苦しくないぶん、強くなっている実感は全くない。ただただ、不安と焦りが募る。それでも、とにかく信じて、丁寧にコツコツと練習をした。
奥信濃100と、見つかった課題
練習をサボらないように、6月に「仮想信越」として奥信濃100で100キロを走った。無事に完走できたが、大きな課題が見つかった。

下りへの耐性だ。
この課題を克服するために、基本のゾーン2トレーニングに加えて、週1回は必ず多度山へ行き、下りをしっかり走り込んだ。ただ、ここから信越までの残りの日数で、急に身体が強くなることはないと十分に分かっている。多度山での走り込みにも意味があるのかと不安になりながらも、コツコツ積み上げるしかないと思って走った。
それでも、恐怖は拭えず、肥大化する一方だった。レースが近づくにつれて、夢を見る回数も増えた。
残り1ヶ月、予想タイムが突きつけた現実
レースまで残り1ヶ月。ようやく目標タイムとレースプランを考え始めた。
AIや、いろいろなレースプランのサービスを駆使して、信越五岳100マイルのゴール予想タイムを導き出す。レース経験が少ない僕には、指標になる数字が少ないこともあってか、結果は多種多様だった。制限時間を大きく超える予想が出るものから、制限時間の6分前にゴールするものまで。

ただ、一つ確実に言えるのは、データ上では完走確率が低めだということ。
経験で見えてきた100マイルの姿。そして、データから導き出される予想。これらが、僕の気持ちに現実を突きつけるように、重くのしかかる。
あとは、映画やドラマや漫画じゃないけれど、それらを覆すような秘めた力があるのかないのか……。(ナメック星の最長老の元に行きたい・・・。)
自分のことなのに、そんなドラマや漫画チックな ことを信じるしかなかった。
台風と、逃げ腰マインド
レース本番の1週間ほど前から、台風の進路を気にしていた。ここでも僕は、台風で中止になるのであれば、それはそれで良いような……そんな逃げ腰マインドだった。
そんな逃げ腰マインドを、いろいろなランナーのポッドキャストを聞き、一緒に練習するチームメンバーにプッシュしてもらいながら、少しずつ立て直してきた。
最後は、強い気持ちをもって、スタートゲートの前に立った。
――後編へ続く。
【投稿者:飯田】



